小川地区





最後の日本オオカミ

東吉野村大字小(おむら)の辺りで西へ流れていた高見川
は、大字小川に入って南へ流れ、川に沿って「県道16号
吉野東吉野線」のバス停「千代橋」の少し南に「日本オオ
カミの像」が立っています。明治38年日本で最後の若雄
のニホンオオカミが東吉野村で捕らえられ、それを英国より
派遣された東亜動物学探検隊員の米人マルコム・アンダ
ーソンが東吉野村鷲家口の宿屋芳月楼(ほうげつろう)で
地元の猟師から8円50銭で買い取りました。現在そのオ
オカミは、大英博物館で標本にされて「採集地ニホン・ホン
ド・ワシカグチ」と記載されています。なお、常時展示をして
いませんが、渡英して頼んだら見せて呉れます



天誅義士、彦根藩士諸霊菩提寺「宝泉寺」



「魚見石」の史蹟顕彰碑の建つ所から「高見川」に沿って更に西へ辿ると、途中バス道路の右側、山際に「天誅義士墓所(明治谷墓所)」があり、明治維新の魁(かい)、天誅義士9名が永眠しています。

なお、一見すれば、徒労に終わっただけの暴挙とみられがちな天誅組の行動ですが、彼等の精神は、5年後の明治維新で実を結び、立派に受け継がれました。しかし、明治維新を待つことなく、東吉野村で無念の最後を遂げた天誅組の面々は、鷲家地区では「湯ノ谷墓地」に埋葬され、小川地区では「明治谷墓地」に埋葬され、それぞれ「竜泉寺」と「宝泉寺」で幕府軍と供に供養され、村の人々の暖かい手によって守られています。

小川城跡(春戸城趾)




「ニホンオオカミの像」が立つ所から「県道16号吉野東吉野線」「高見川」を夾んで対岸に聳える山が「ハルトヤ峰(海抜400m)」で、小川城趾(ハルトヤ城趾)です。この辺りは昔から小川谷小川郷と呼ばれ、歴史は古く地元の豪族小川氏が南北朝の戦乱時代から織田、豊臣の安土桃山時代に至るまでの間、およそ250年、数代に渡って支配して来た土地柄でその居城が川向こうの山頂にありました。なお、城域は、約3600平方米にも達し、今も当時を偲ばせる遺構が保たれて、城跡に往時の小川氏を追慕して顕彰碑が建てられています。

清流中の清流「高見川」





吉野郡東部に位置する「高見山」「はんし山」の西側から流れる「平野川」「杉谷川」の2川が合流して「高見川」となって南へ流れ、更に「台高山脈(国見山、明神平、薊岳)」の西側から流れる「大又川」と「麦谷川」が合流した「四郷川」と、「日裏川」が東吉野村小の「丹生川上神社中社」の辺りで「高見川」に合流して西へ流れ、川上村から流れる「吉野川」に「高見川」が合流し、「吉野川」は、和歌山県に入り「紀ノ川」と名を変え「太平洋」へ流れ込みますが、東吉野村の「高見川」では、「丹生川上神社中社」前で、透き通る水が川底を見せて、淀みではエメラルドグリーンの水面を見せ、鮎、アマゴが泳いでいます。