小(おむら)地区2



小川城主の墓





「天照寺」の西隣、崖下に小川城主の墓地があり、十三重塔2基、五輪塔5基、いずれも鎌倉時代の末期から南北朝時代のものです。小川弘光は、1458年(長禄2年)後南朝が保持していた神璽(しんじ)を北朝へ奉還したことで知られています。なお、神璽は皇位のしるしとして、歴
代天皇が受け継ぐ三種の神器の1つです。また、弘光の時代が小川氏の最盛期で、その勢力は、宇陀郡までも及んでいたが、1587年(天正15年)小川氏は豊臣秀長にこの地を追われ、小川次郎と弘が書いた置文が隣の東吉野村大字木津川(こつがわ)の山本家に残っています。なお小川氏の居城は、当村大字小川のハルトヤ峰にありました。


県指定文化財、天照寺の「薬師堂」




更に「小川城主墓地」の西側に「薬師堂」が建っています寄棟造、茅葺で、棟木の銘に「神光寺(じんこうじ)」とあり、天正12年(1584年)に上棟をしているけど残念ながら「神光寺」は、明治9年廃寺になっています。なお、ご本尊は、薬師如来坐像で、台座の底部に室町時代の文明7年(1457年)藤原(小川)弘光によって、再興されたと言う墨書があります。また、この「薬師堂」は「高見川」筋に広がる小川郷七薬師の1つで、毎年1月8日子孫繁栄と五穀豊穣を祈願して初祈祷が行われますが、ふしの木で作ったオコナイ棒で縁側を叩いた後、お札を取り合い、祈祷に使ったオコナイ棒は厄除けになります。

原石鼎(はらせきてい)旧宅



「薬師堂」の更に西隣に俳人「原石鼎(はらせきてい)旧宅」があります。原石鼎は、明治22年島根県で開業医の三男として生まれ、東吉野で開業医をしていた兄をしたって来村し、高浜虚子が主宰した俳句雑誌「ホトトギス」に投稿して「大正ホトトギス作家」と云われ、自然を詠んだ格調高い句を多く残しています。。

鮎が酔い流れた所に建つ「魚見石」



「民俗資料館」から「高見川」沿いに更に西へ行くと、道路の左脇に「魚見石」の石碑が建っています。これは初代神武天皇が東征の砌(みぎり)に、丹生(にう)川上の故地に於いて天神地祇を祀り大和平定の成否を問う為、嚴瓮(いつべ)を「丹生川上神社」神域の「夢淵」へ沈めたら、やがて吉兆があらわれて魚(鮎)が木の葉の如く酔い流れ、尊い神助の瑞祥を得ました。その鮎の流れる様を臣(おみ)の椎根津彦(しいねつひこ)が見届けた所を「魚見石」と云い、昭和12年5月史蹟顕彰の為、石碑が建立されましたが、3度の災禍を蒙り、川筋の景観が一変したので、小(おむら)区の高所に碑を移し、顕彰しています。